次世代育成の基準

学力や年収を、子育ての判断材料にすることは、

地球全体でみると、

「パチンコ必勝法ばかり詰め込んで次世代を育てている」ような事なのです。

(人間社会で高学歴高収入であることは一つのステイタスになっているが地球全体でみるとパチンコ店のなかで頻繁に勝つ人の位置づけとあまり変わりません、そこを目指しているだけでは。)

世の中に、パチンコが上手い人ばかりがたくさん育っても、世界は回っていきませんよね。もっといろんな能力が必要だと分かります。森や川や海などの自然循環を保つ人や食べるものを生産する人や、とにかくいろんな分野の能力が協力し合わないと世界はうまく回らないのです。

 

地球全体において、「人間社会の中で、うまくお金が稼げる」ことを基準に人材を育てるのは、

「人間社会の中で、パチンコが上手く打てることを基準に子どもを育てる」のと似たような事なのです。

パチンコが上手いのは悪いことではないがそればかり重要視しても世界は良くならないし能力不足でうまく回らないのです。

 

学力や年収がどうなったかを追跡調査するよりも本人の能力がきちんと開花したかどうかを追跡調査して、子どもたちの育て方や社会のつくりを見直したい。

個人の得意分野を伸ばし、それぞれの得意分野で平等に協力しあえる社会に向けて、見直したいのです。

 

(平等にこだわるのは、役割に上下や損得があると、得意分野よりも「得するほう」に流れるから)

 

 

※パチンコ批判ではありません。

 

 

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でも、動きはじめてくれたことがまず、嬉しいです。ありがとうございます。

「はじめは、動こうとしても身に染みこんだ価値観を基準に動いてしまうのでトンチンカンなことをしてしまう」、のは皆さん良くあることなので、ここから一歩ずつ価値観を塗り替えて、

世間を変える能力をもつその発信力を、どう使うか、一緒に軌道修正していきましょう。

 

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「この教育をしたら、『年収が安定した・年収が増えた』」、の結論につなげて指導してしまうと、「年収につながらない能力を切り捨てる」流れが変わらず、社会全体の「能力不足」が改善しません。

 

幼児教育に求めるのは、儲かる・儲からないは関係なく子供たち一人一人のやりたいことを大事にして、それぞれの得意分野をのばすことで、

「その結果としてどんな職種に就いても、生活を安定できるようにする」のは政府側の役割です。

 

「たくさんお金を稼ぐことは、そのお金で全体の改善をすることだ」の意識を浸透させると、「それが好きな人」が金銭の市場に残るので、政府が「全体の生活安定」の資金に困ることも減ってくるでしょう、ここはメディアの役割です。