「アメリカンミュージックアワード2022」をBSでやっていたので録画して観ています。
最優秀新人賞のダウ・キャメロンさんのスピーチが素敵だと思いました。
内容をおおまかにまとめると、
「自分がこうした立場になることで、自分と同じ辛さを抱える人たちに、自分が得たのと同じような安心や愛を伝え、支援があることを世の中に広めるのに役立ちたい、
賞をとったのは皆のおかげで、この賞は皆のものなのだ」
という内容を本心から話しているのが素敵だと感じました。
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先ほど夫と話していたのですが
従順な子は育てやすいが、大企業の社員(または公務員)に類似した仕上がりになるよ、という話
言うことを聞かない息子にイライラがつのる夫に対して、言うことを聞かない子どもが「悪」だと言い切れるわけではない、と知って欲しくて話しました。
夫は仕事を通して「会社に従順な大人」の問題点を、日々、色々と感じているようなので、
いま息子に、従順であることを強制し、その結果、将来息子が、
いま自分がやきもきしている相手達と同様の思考に育つことを、本当に自分は望むのかな、のあたりに気付いて欲しいと思ったのです。
詳しく書くと、子ども時代にやるべきことは大人の常識では迷惑な行為にあたる物が多いので、それを知らない大人に養育される場合たいていのことを静止されるのだが、それに対して従順になれる子どもたちは、もともとの性質、もしくは従順を選択した結果の神経発達の状態、あるいはその両方により、成長しても社会や常識に(盲目的に)従順な大人に、なりやすいだろう、という話なのだけれど
この流れの良い面は社会の安定に役立つこと、
しかし別の面からみると「常識が影響して起きている問題」に自ら気付き対処するのが難しくなる一面があり、
今はこちらの問題が、人類全体で、大きくなっていると私は感じていて、
(これは、いま観ている「アメリカンミュージックアワード」を盛り上げている、バックダンサーの方々にも共通するように私は感じるのですが)、
おのずと「誰か引っ張ってくれる存在に従って行動する」ことになるのだけれど、
その引っ張る存在というのが、誰でも良いわけではなくて、上記のダウキャメロンさんのような感覚の、自分が輝くためというよりも全体のために活躍しようとする人であれば、従順なタイプの穏やかさや優しさなどが、きちんと良い方向に活かされて、地球と人類の存続が徐々に良い方向に回っていくと私は思っています。
そして、この引っ張る存在というのがまた、誰でもなれるわけではないと私は思っていて、やはり適性があると感じています。
いまの社会構造で、注目を浴びる立場になることは、
本来平等であるべきところが不平等にできているため、そこからおのずと生まれ出る黒い感情たちの矛先が、向かいやすい立場に立つことになるため、
それらのトラブルを必然的に起きるものだと理解して受けとめ、なおかつ全体のために尽力できる、といった、(私からみると)とても高度な能力が、適性として必要だと感じています。
(この説を聞いて、「せっかく成功したのに、他人からは攻撃されるし、しかも全体のために尽力しなきゃいけないなんて、良いことが何も無い」と感じる人は、その立場に向いていないと思うのです。何か別の、自分らしく生きられる道が見つかるといいなと思います。
つまり「勝ち上がり一番になりたい」思いだけが強いタイプもまた、その人自身が引っ張る存在であるというよりもやはり「引っ張ってくれる存在と共に動くことで活きる人達」で、なぜなら
(いまの社会での便宜上トップという表現をすると)、トップを目指す時に必要な努力と、トップに立ったあとに必要な能力が異なるので、
トップになりたい思いだけでは全体を良くできず、また身を守ることも難しく、トップに立った瞬間から、全体を考えられる能力との協力が必要になるからです。)
この話題のときは、いつもマイケルのことを考えます。ちょうど今、マイケルのウィーアーザワールドが、アメリカンミュージックアワードのラストに流れました。世界のためにこんなに頑張っていたのに彼の人生はなぜああなったのだろう?もし私がマイケルと協力できていたら何をアドバイスしただろう?やはり「荷を捨てる勇気を持つ」ことをアドバイスしたと思います。多額に集まってくる資金を全体の改善に使い自分は普通に暮らす勇気です。マイケルはマイケルなりにそう尽力したけれど自分が特別でいたい気持ちを捨てられなかったことがいろいろな面で災いしたように私には感じられ、50年という短い人生はマイケルを伝説にするためには役立っているけれど本人はどうしてこうなるのかが分からず状況に苦しみ悩んでいたように私には思えて、いつも思い出すのです。
(ちなみに、特別でいたい人が特別でいることを我慢?しなくても人類の存続上・個人の安全上問題がなくなるのは、全てが平等になった時だと私は思っています。家が無いから路上で寝泊まりせざるを得ない、のではなく外で寝たいから外で寝る、のを平等に選択できる世界、ゴールドやダイヤモンドはそれを好きな人がそれを持ち、好きではない人は持たない自由選択が、勝敗ではなく「各自の好み」でできる世界、いまで言う「特別」風な暮らしを選択できるけれどそれは優劣ではなく好みによる選択で行われ「実質は平等」である世界です。
人材は適材適所、物資は必要な場所に必要なものが届く、経済活動があるとしたらそれは、生死まで勝ち負けで決まる全体競争ではない世界、貨幣があるとしたら血液のように全体に行き渡り、必要量に違いがあってもそれは勝ったから多く分配されるのではなく必要に応じて各所に必要量が行き渡る世界です。)
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柴田愛子さんの発言をいろいろ読んでみました。
私のように社会構造そのものを変えるべきだとまでは言っておられず、
今ある状況のなかで、子どもたちの本能を阻害しないためにできることを、精一杯やろうとされている、保育の現場のかた、という印象です。
いきなり「子育てランド」を実現するのは大変だが、今ある保育現場で柴田愛子さんの保育を参考にすることは、割とやりやすいだろうと感じます。
ぜひ、よろしくお願いします。
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