前回までに書いてきた、
人間の、未来(本来)の在り方である「得意分野で協力し合う社会」について、
その具体例の一つを、書こうと思う。
子育て分野についてである。
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なぜ子育てをピックアップするのかというと、
自分自身が、過去・それから現在進行形でも経験していて、問題点や理想形を認識しやすい、というのもあるし、
また、
「こどもに関することを後回しにするのは国家の店じまいだ」という発言をどこかで読んだが私もそれに同意していて、
次世代育成をうまくできない状態は生物としての危機だと私は思うので、「国家の店じまい」どころではなく「人類の店じまい」ではないかと感じているからだ。
教育システムや経済システムが改善し、適材適所の状況が良くなったら、私が今考えつくものよりも、もっと、状況に即した良いものが考えられるようになると思うけれど、とりあえず今、現状に対して、「こうであればもっと良いのに」と私が感じることを書いてみようと思う。
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私は肉体的な反射神経や運動神経があまり良くないので、
息子が活発に動くようになってからは、安全対策に自信が持てない為、外遊びは夫と一緒に行ける週末に限定していた。
もっと外遊びをやらせてあげたいと思いつつも、身の安全には変えられず、
その変わりに、日中の室内で登る・走る・飛ぶなどをある程度容認して、私にできるサポートをしながら、家の中の物を使って運動を行っていた。
最近はそのような状況だったので、
今日、流れで、私と息子が二人きりで、ベビーカーも抱っこ紐も使わずにフリーの散歩をすることになったが、そうした散歩はずいぶん久しぶりのことであった。
久しぶりに、二人で道を歩いてみると、そこには危険や、他者の迷惑・邪魔になるシチュエーションがいっぱいで、
「成長段階に従って息子が本能的にやりたがる行為」(小石拾いとか、いろいろ)を、満足にやらせてあげることがほとんど出来なかった。
「ここではこれはダメ」「危ないからそっちはダメ」等、
周囲の状況的に、車が通ったり、子どもが遊んだり触ったりするのを喜ばれない場であったりするので、
少し歩けばそんなことばかり言わねばならず、
「こんな日々を送ることは、子どもの成長にとって、良いとはいえない。」としみじみ実感した。
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こうした現代育児に対して、私が今、理想としている子育て環境は、
・広大な土地で、
・たくさんの大人によって、
・子どもの個性を妨げない保育を十分に行える、
「子どもの王国」とでも言えるような、通称「子育てランド」というものである。
(ネーミングがダサいのは私のセンスの問題なので別の名称でもよい。)
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広大な土地を必要とするのは、子どもが成長段階でやりたがる行為をできるかぎり全て、やらせてあげるため。
なおかつ個性対応もできるように考えたいので、やはり必要な土地は広くなる。
階段を登りたい子は好きなだけ階段を上り下りできるし、石をつまんだり投げたりしたい子は好きなだけそれをできるし、本を読みたい子は好きなだけ読んでいられるし、水遊びをしたい子は好きなだけできるし、虫を探しに行きたい子は好きなだけ探せる。そうした場を十分に用意したいので広い土地が必要で、
それらに対応するために大人の人数も十分に必要になる。
大人がたくさん必要なのは、個性対応のためというのに加えて、運営に必要な作業を適材適所で役割分担するためでもある。
適材適所は「産む」段階からすでに始まる。「誰でも普通に産める」のが常識ではなく実際は産むのに適した人、という個性があると感じるからである。
一夫一妻の現在社会において、その常識に適応できず多数の生殖行為を求める人や、多産の人、戦場において強姦欲求に駆られるタイプの人など、こうした生殖能力の強い・産むのに適した人がこの能力者だろうと私は考えている。
産むのに適した人たちを中心に、産みたい人が出産した子どもたちを、
育てるのに適した人たちで、身の回りのお世話をする。
食事の支度が得意な人、掃除が得意な人、
歩いたりこぼしたりする子どもたちに無理なく食事をさせるのが得意な人、
イライラせずに着替えをサポートできる人、などなど、得意分野で分担する。
遊びの時間は、「子どもの本能的な動作を尊重し見守るのが得意な人たち」を中心に担当、農業とかスポーツとか専門的な分野の学びはそれに詳しい大人が知識や技術の伝達を担当、また、とくに何をするでもないが子どもが好きでかわいがりたい人が、そこかしこで愛情を与える役割を担う、など、たくさんの大人が必要である。
それぞれが、得意な分野で次世代育成に携わる。
「産んだが育てられない」でも大丈夫だし、逆に産めなくても子どもを育てられる。
こんな「子育てランド」が各地域にあって、いつでも・いつまでも預けられるし、親子で連泊しても良い、となれば
親や子にかかるストレスは皆無に近くなり、子どもの可能性を最大に引き出した育児が可能になる。
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子ども時代には、その時期に十分体験しなければならないことが、遺伝子に組み込まれた状態で存在するので、
大人社会の常識を教育するのはそれらを十分にやり終えてからでも良いはずだ、と私は考えている。
よって子育てランドは、子ども時代に必要な経験を十分に行い、個性に従った神経発達を十分にうながすための、子どものための王国である。
「本能的な発達を最重視すべき時期」が何歳までなのか、についてはこの先、子育てを続けていく中で感じ取れるのではないかと予想している。
20年前の子育ての時も、「あれ?なんだか、状態が変わったんだな」と感じた段階が、何度かあったので、
成長と神経発達を続けながらも、個人で集中してそこを発達させたい段階から、脳的に社会性を重視してくる段階というのが、おそらく有るように感じている。
そこに個人差があるならそれにも対応できるようにするのが良いだろう。