発達支援の教室

改善前の、現状の、保育園または幼稚園に通うことになる現在は、

 

 

「保育者のイライラを刺激して虐待につながる」ことが少しでも減るように、

 

 

「みんなと同じこと「も」できるようになろうね」と伝えて、

(微妙な違いだが、「みんなと同じことをしなさい」と言うのと「同じことも出来るといいね」と言うのは、大切にしているポイントが異なるので、こだわりたかった)、

今日、保健所で勧められた「発達支援の教室」で、集団保育の体験学習を、始めることにした。

 

 

 

 

子ども側には、こうした、

主に「現状での、身の危険を避ける」理由で「みんなと同じこともやろうね」と伝え、無理のない範囲で努力をするけれど、

 

 

幼稚園・保育園側は、逆に「個々の性質に対応できる方向に進化していってほしい」というのが、(人類と地球の存続を前提にしての)私の希望です。

 

 

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「発達支援の教室」は、

地域の保健所で「集団行動や言語に発達の遅れがある」と判断されて勧められたものなのだが、

 

 

今までも言ってきたように、私の感覚だと、

現在言われている「障害」は、現在の価値観・社会構造内で、わかりやすく生活困難になる特徴が「障害」と規定されているものなので、

いまある社会に適応する目的で・上記の規定をもとに判断している保健所の指導では、当然、息子はそう判断されるだろうと理解している。

 

これは息子の発達状況や、持っている性質が、「現在の社会構造ではアウトローの位置に置かれる」という意味であって、

本来・(未来)は、

「得意分野で互いに助け合う世界」の、そのなかの一つである。

 

 

 

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勧められた教室は、

見学後でないとハッキリした事は言えないけれど、保育方針や考え方を読んだ限りでは、

 

私の理想とする「個々の性質を阻害せず伸ばす」教育を大事にしつつ、

現在の保育現場の集団行動にも入れるように練習させてあげる感じになっていて、

 

「個性が大切だけど、集団のときに悲しい思いをしないようにしてあげたい」という私の望みに合致した教育のように思える。

 

将来的には、

いま標準とされている保育園・幼稚園・(その後の教育)の側が、

こうした、アウトロー判定された子どもたちを受け入れている「特別教室」側の、「個性対応が可能な保育」に近づけていくことが、

(地球と人類存続を前提にすると)、望ましい変化だろうと私は思っています。

 

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そう思う理由は、

 

現在の集団教育は、人間社会に適応することを主目的にしているけれど、

いまの人間社会は、地球全体と上手くやっていくことを前提には作られていないと私は思うので、

(人間にとって、地球全体がまだまだ果てしない広さで、それについて何も分からなかった頃や・それを考えなくてもなんとかなっていた頃の、常識やシステムを、主要な位置づけでそのまま使っている部分があり、その影響が、人類の増殖に伴って大規模になっているから。その主なものは経済システムと教育システム)、

その社会構造にうまく適応することを「標準」にして、それ以外の要素を弱者の位置づけにし・能力が社会に反映されにくい状態にしてしまうと、

おのずと「地球全体と上手くやっていくことが難しい」流れが、継続すると私は考えているからです。)

 

 

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保健所で発達支援の指導を受けた今日、

我が家では「やっぱり、ちゃんとさせなきゃ社会に受け入れてもらえないのだ」という不安の揺り戻しが起きて、親子3人、状態が不安定になってしまった。

 

 

やりたくないことをやらされるのは嫌だと意思表示したい息子は、わざと親を困らせる行動を連発するので、私も疲れたが夫はさらに、怒りのガマンの限界になっているのがひしひしと感じられ、

危険を感じた私は息子に、「大人をわざと怒らせてはダメだ、あなたは体が小さいのだから、大人が怒ったらどうなってしまうかわからない、死んでしまう子だっているのだから、大人をわざと怒らせてはダメ」と言い聞かせたのだが、

 

 

その後、「では、嫌なことをやらされる子どもはどう伝えればその気持ちが大人に受け入れてもらえるのだろう」という疑問が頭から離れなくなった。

 

 

自分の希望する選択肢が与えられず、それが嫌で反抗したら身の危険がある、(だから集団行動を練習しておかねばならないし、反抗しないように言い聞かせねばならない、というのも含めて)、不自然に感じた。

 

 

(集団行動を練習し、反抗しないように言い聞かせ、今あるシステムに適応させればそれで丸くおさまる、

一見そのように思えるとしても、

そうやって適応させたそのシステム自体が、地球全体とは上手くやっていくのが難しいシステムで、また、人間社会をうまくおさめるシステムとも言い難いので、様々な問題が起き続け、結局丸くおさまらない。)

 

 

やはり、それぞれの性質に合った自由選択をできるように考えていくのが、人間社会の構造としても自然で、地球全体ともうまくやれる形ではないか。とあらためて思った。

 

 

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発達支援の件、

保健所の空気から離れて一晩ゆっくり考えてみたら、

やはり「みんなと同じことが出来ないと幼稚園にいけないからなんとかしましょう」の考え方は、子どもを尊重していない、大人の価値観の押し付けだなと感じたので、

それについて保健所にお手紙を書いてみた。

「普通になりましょう」の意識で話されると親子ともどもストレスがかかる。「うちの子は、これではダメなのだ」と感じ、些細な行動にもイライラし、子どもがのびのび過ごせなくなる。

よって、

既存のシステムを善にして子どもを矯正する目的の会話ではなく、

子どもの個性をどうやったら潰さないか、の角度で、

「活発すぎるということなら、幼稚園などの画一保育以外でも選択肢があるよ、いろいろ試して、子どもが過ごしやすい環境を選ぶと良いかもしれない」等の、

子どもの性質を尊重したアドバイスをしてほしい、といった内容。

そして、私自身も、そうした意識で発達支援教室を利用するつもりだ、という内容。