世界の潜在能力

日常のなかで、ふと気になって調べ物をすることが、よくあるのですが、

かなり専門的な何かを調べても、たくさんの情報が出てくるので、

「世界のどこかでそれについて研究している人がいる」というのが、すごいなと、毎回感心します。

 

しかしこれもきっと、

本当はもっとすごいはず。

 

その研究に関わる、材料とか、器具を作る人とか、サポートが上手い人とか、場の空気をなごませて会話のパイプ役をしてくれる人とか、

そこに関わるべき何らかの役割の人が、

現システム下で「生活のため」に、向いていないルートに進み、向いていない分野で向いていない仕事をしているはずなので、

そうした、封印されて欠けている能力たちが、本来の場所に収まったら、本当はもっとすごいと思うのです。

 

発明されたり・発見されたりした、技術などの使い方も、素晴らしい使い方を考える人がその役割に就き、

(人間以外も含めた)皆を幸せにする、素敵なものが、たくさんできると思います。

私はそういう世界を目指しています。

お知らせ

現在は、話が具体的になっていて、

団体の固有名詞などを含めた文章が多くなっているので、

現実に配信を御覧になっている方々との会話を中心にするべく、水面下でお話しています。

 

これは、この会話形式が、発足当初から続いてきたという慣例でもありますし、

私自身の、用心深さが影響しているからでもあります。

妄想だと思われて馬鹿にされる?いえ、馬鹿にはしていないかもしれないが信じてもらえずあちこちで「病気」だと思われた事が、けっこうつらい思い出になっているので、

分かりやすい話題や固有名詞を出して現実でまたそれを体験するのは避けたいと思っているから具体的な話が続く時は水面下に潜んでいます。

摂食障害のニュース

ネットニュースに、摂食障害で悩む親子たちについての記事が載っていたので、ステップあやさんのブログとカウンセリングを、コメント欄で勧めておきました。悩んでいる人が目にして、あやさんのところにたどり着いてくれると良いなと思っています。

 

これに関連してここに書きたいことが二つあって、一つは社会に摂食障害が増えている原因について、

もう一つは、いまの私があえてステップあやさんのLINEやブログを見ないようにしている理由です。これは摂食障害とは直接関係がなく、先日話した「偶然の一致」に関係することです。

 

摂食障害が増え続けている原因

それは社会の価値観が片寄っているからです。本来は、外見や体の状態などは、数ある特徴のなかの一つに過ぎず、特定の外見や肉体の状態を、「好む人」もいれば「そうではない人もたくさんいる」のが普通の状態なのですが、

現在は、社会に通用する能力を「生産性をベースにある程度限定してしまっている」ので、一定の外見や肉体を好む人とそれに同調する人が中心になって社会を構成する状態にあるため、おのずとそれが「社会的に価値のあるもの」とされて、それ以外の人にはあまり価値がないかのような錯覚が、蔓延しているからです。

 

障害者に関する記事の時にも書いたように「すべての能力が平等に価値がある」状態にもっていければおのずと摂食障害になる人も減ってきます。外見や肉体に限らず、自分の能力や価値が普通に社会で認められ役に立てるので自分の価値を疑問に思うこと自体が減ってくるからです。

そうした社会を目指して部分的な対症療法も行われていると思うのですが、根本的には子どもたちの教育を、どんな能力でも尊重して伸ばす環境にして、

その結果どんな職種に就いても平等に安定した生活が送れるようにすれば、その適材適所が機能して、自分たちで状況を改善できるようになるだろうと私は考えています。

 

 

②あやさんのLINEやブログをあえて見ない理由

先日書いたように、

誰にでも起きる「偶然の一致」により、「まるで自分のことを言われているかのように感じる」ことが、皆さんにも頻繁にあると思うのですが、

個人のブログやLINEを見た痕跡を残した状態でここにそれが起きると、その人の中で「自分について言っている」という誤解が確信に変わりやすくなってしまい、それがその人にとって良い気持ちになる内容ならまだ良いのですが場合によってはそうではない時も当然あるので、

できるだけそうした誤解が起きないように、誰に対しても、なるべく個人的なやりとりを控えているからです。

あやさんに限らず、御覧になっている皆さん全てに関係することなので、良い機会なので書いてみました。

 

 

次世代育成の基準

学力や年収を、子育ての判断材料にすることは、

地球全体でみると、

「パチンコ必勝法ばかり詰め込んで次世代を育てている」ような事なのです。

(人間社会で高学歴高収入であることは一つのステイタスになっているが地球全体でみるとパチンコ店のなかで頻繁に勝つ人の位置づけとあまり変わりません、そこを目指しているだけでは。)

世の中に、パチンコが上手い人ばかりがたくさん育っても、世界は回っていきませんよね。もっといろんな能力が必要だと分かります。森や川や海などの自然循環を保つ人や食べるものを生産する人や、とにかくいろんな分野の能力が協力し合わないと世界はうまく回らないのです。

 

地球全体において、「人間社会の中で、うまくお金が稼げる」ことを基準に人材を育てるのは、

「人間社会の中で、パチンコが上手く打てることを基準に子どもを育てる」のと似たような事なのです。

パチンコが上手いのは悪いことではないがそればかり重要視しても世界は良くならないし能力不足でうまく回らないのです。

 

学力や年収がどうなったかを追跡調査するよりも本人の能力がきちんと開花したかどうかを追跡調査して、子どもたちの育て方や社会のつくりを見直したい。

個人の得意分野を伸ばし、それぞれの得意分野で平等に協力しあえる社会に向けて、見直したいのです。

 

(平等にこだわるのは、役割に上下や損得があると、得意分野よりも「得するほう」に流れるから)

 

 

※パチンコ批判ではありません。

 

 

~~

でも、動きはじめてくれたことがまず、嬉しいです。ありがとうございます。

「はじめは、動こうとしても身に染みこんだ価値観を基準に動いてしまうのでトンチンカンなことをしてしまう」、のは皆さん良くあることなので、ここから一歩ずつ価値観を塗り替えて、

世間を変える能力をもつその発信力を、どう使うか、一緒に軌道修正していきましょう。

 

~~

「この教育をしたら、『年収が安定した・年収が増えた』」、の結論につなげて指導してしまうと、「年収につながらない能力を切り捨てる」流れが変わらず、社会全体の「能力不足」が改善しません。

 

幼児教育に求めるのは、儲かる・儲からないは関係なく子供たち一人一人のやりたいことを大事にして、それぞれの得意分野をのばすことで、

「その結果としてどんな職種に就いても、生活を安定できるようにする」のは政府側の役割です。

 

「たくさんお金を稼ぐことは、そのお金で全体の改善をすることだ」の意識を浸透させると、「それが好きな人」が金銭の市場に残るので、政府が「全体の生活安定」の資金に困ることも減ってくるでしょう、ここはメディアの役割です。

 

虐待のニュース

また虐待事件が起きてしまいました。

今日話したいポイントは

①今回みたいな分かりやすい形の、「育児能力が欠如した人の行う虐待」はニュースになるけれど、

いま現実には「大人からみてきちんとした子ども、に育てようとして怒りすぎたり子どもの心をむしばんだりする虐待」がかなり増えていて、

こちらはほとんど焦点があたっておらず、行政的にもむしろこれを「後押しする」ような育児指導をしているため、現在進行形で「大人からみてきちんとした子ども、を育てようとして精神的虐待を行う家庭」が増え続けていること。

ここにもっと焦点をあててほしい、そして行政にも改善を求めたい。(幼児の本能についてもっと広め、「それを矯正してきちんとさせる指導」ではなく「本能を柔軟に受け入れる育児」へ。)

 

 

②人間は、基本的には「自分が経験した記憶領域から情報を引き出して育児をしている」と私は思うので、虐待・ネグレクト傾向にある人を、一時的な更生プログラムで育児可能な人格に作り替えるのは難しい。

日常のあらゆる場面で幼児の本能は炸裂するので、そのたびに自分が幼児期にその場面で経験した言動を繰り出すことになる。理想の育児について多少理屈を学んでいても、いざその場面がくると反射的に自分の経験した育児が優先して出てきている。私の夫をみていてもそうである。

(女性はホルモンの関係で月に一度くらいは精神面で自制が効きにくい時がありそうした時に虐待がエスカレートする。)

こうした人は、常日頃から一緒にいて良い方向に育児をリードしてくれる存在がいないと、子どもに良い接し方を自力で維持するのは難しいだろう。配偶者ないし友人など、ほぼ毎日一緒にいてくれて、良いリードをできる存在。

また、私の配信を見ている人はそれを参考に日々の軌道修正をしてほしい。(私にも向き不向きでうまくできない部分(外遊びなど)や、メンタルの浮き沈みもあり決して完璧ではないが)私なりに自分のイライラ感情を自分で処理する努力をし、子どもの本能・個性を阻害しないよう気をつけて育児をしている。

そうした助けがない虐待経験者の場合、里子に出すことを前向きに検討するのが良いと思う。(里子に出すことは前述の、「大人からみてきちんとした子ども、に育てようとしての虐待」につながる可能性がないとも言えないが。よって早急な改善を求めたい。)

 

③未来の理想としては、以前書いた子育てランドが今のところ最強。産みたい人が産んで産みっぱなしでも大丈夫である。

 

~~

 

ちまたには、改善しなければいけない出来事が山ほどあって、育児に関することに時間や人員を割いている場合ではない、と思っているから対応が遅いのかな?と思うことがあるのだけれど

「ちまたで起きる問題」の改善はだいたいが、人間社会における対症療法にあたるものであって、

次世代をどう育てるかは根本治療なので、

忙しいのであれば専門部隊を作り担当する仕事を分散するなど工夫をして、やはり両輪で進める必要があると私は思う。

よろしくお願いします。

話題二つ

ドライブ中に話した事のなかで、詳しく追記しておきたいと思った二つの話。

 

1つ目

夫に「一人だけ頑張っててもツラいだけだから、もう最低限の努力だけでよいのではないか。」とアドバイスしましたが、それは

夫の状況が、「今あるシステムを維持するためにミスの尻ぬぐいを一人でやっている」という、私からみるとあまり価値を見いだせない不毛な努力に感じるので、そのようにアドバイスをしました。

 

これとは逆に、「私が理想としている世界を実現に近づけるために、単独でも頑張ってくれている方々」には、引き続きエールと感謝を送ります。

 

~~

二つ目

「◯◯をやってみた」系のYouTuberの方々に向けた話。

奇をてらった方向のネタがそろそろ限界に来ていて、社会や次世代をミスリードする内容になっていることもあるので、

「やってみた」の内容を、なにか良い方向に転換してみてほしい。と思っています。

「良い」の基準を私はいつも「人類と地球の存続」に置いているけれど、

そこはあまり厳密にならずもっとザックリした「良いこと」をやるだけでも今の時点では十分効果的だと思います。悪化しているYouTuberたちの意識を、良い方向に向けるために、空気と流れを変えるのが目的ですから。

後続に影響力の大きい、YouTuber内で著名な方々に、ぜひリードしてほしいと思っています。

「偶然の一致」について

身の回りで起きる「偶然の一致」についての考察を、こちらのブログにも書いておこうと思います。

 

 

アカシックレコードというのを聞いたことがあるでしょうか。

「原始から未来までのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念」といわれています。

私はこれを、地球の「遺伝子」のようなものだと捉えていて、

例えば私たちの体は、手や足を、粘土のように自分で形作ろうとしなくても自然に手や足の形に出来上がってくるわけですが、

これは細胞が遺伝子に従って発現しているからで、遺伝子が、その細胞の原始から未来までの事象を記録しているからそうなるわけなので、

アカシックレコードも地球におけるそうした、遺伝子的な存在だと考えているわけです。まずこれがベースです。

 

 

次に、世の中には、「実際に起きること」を含んだフィクション・創造物などが溢れかえっています。

映画や絵画や看板や小説や歌や写真や建築や物の動きや人の発言、出来事、その他いろいろにおいてです。

自分や、誰かの状況と似通っていてまるで予言のように感じることもある、そのようなものが世界中に溢れています。

これらは前述のアカシックレコードをもとにこの世の中に発現しているので、(インスピレーションのようなもの。アカシックレコードにアクセスして発現すると考えている)、なので部分的に予言のようになっていて

しかし世の中の状況(社会の価値観や、個人の感性など)によって発現時にアレンジが加わり、完全な予言とは言えない、予言のようなものを含んだフィクション的なものがたくさん出現してくる、と私は考えています。

 

体で考えても、例えば足の細胞は遺伝子に従って足を形作りますが、発現時の社会状況により、(わかりやすいのでいつもこの例を使わせてもらっていますが)中国の纏足のような習慣がある場合、細胞は足として発現させますが仕上がりは予定の形にはならないわけです。そのように、遺伝子(アカシックレコード)の情報で発現しても、社会状況や個人の感性などの外的な要因も影響して仕上がるので、「予言を含んだフィクション」のようになると考えています。

 

実際に起きる事とは善悪が逆転していたり、敵味方が逆転して発現したりすることもよくあります。例えば同性愛についての何らかの事象について、アカシックレコードのその情報に触れて発現したものがあるとして、発現する時代で同性愛が悪とされていたら、その事象を悪として捉えた小説なり映画なり、そうした現象になるという事だと思います。

 

こうした現象が、世界中で、たくさん出現していて、自分に関するものも、たくさんありますが、これは魔法でも特別な予言でもなく、おそらく、誰にでも起きる自然現象です。

私はこのように考えていて、日常にとても役立っているので、

こうした現象に驚いたり悩んだりしている人がいたら考え方の参考にしてほしいと思い、書きました。

 

そしてもちろん、私がこうして、ここに書いている文章も、私が何も意識していなくてもアカシックレコードと関係している可能性はあり、

誰かの何かに類似していて、びっくりさせている、ようなことも頻発に起きていると思います。そのような時も、上記を考え方の参考にして下さい。